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PROFILE



病気から私の人生は一変しました。特に手術前の状況は寝返りもできず「パニック状態」で、このまま一生ベット生活で終わるのではないかという恐怖そのものでした。手術後全身麻酔から覚めても手足の感覚はあるものの体は全く動かず何本ものチューブが体から出ており「手術が成功した」という医師の言葉も実感が伴わないものでした。今までの人生が一変した瞬間でした。

山崎 弘文

頚椎症性脊髄症による四肢・体幹機能障害(3級)

生年月日 1954年8月18日 本籍 神奈川県
1977年入社(通信関連会社)
1978年〜1980年 New Yorkに長期出張
  今は無きワールドトレードセンター40階で勤務していました。
1981年〜1987年 New york , Los Angeles 駐在
  LAの支店長時代 月1回NYKで会議があり日曜日22:00にLAを飛び立ち
  そのままNYKの本社に出勤、月曜日21:00にLAに戻るというような事を平気で行っていました
1987年〜1995年 東京本社に帰任後、東南アジア各地出張(年間150日程度を海外で過ごす)
  出張で行った国、オーストラリア、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、パキスタン
  インド、中国、香港、 
1995年 外資系IT企業へ
  非常に斬新でユニークな会社にヘッドハンティングされました。
1998年 外資系通信会社へ
  この頃から体が重いような日があり(会社の健康診断では異常は見つからない)
  単なる風邪かな というような症状がありました
2000年 日系通信会社へ
  この頃になると体のだるさが増し会社にも迷惑をかけていたと思っています。
2004年9月 突然の発病
  体が動かない。体中が硬直し歩行は言うまでもなく上半身の動きも難しい状態で
  マンガ「巨人の星」の大リーグ養成ギブスを体中に付けられたような感じでした
2004年12月 手術
  当初 担当になった医師に不信感を持ちリハビリでの回復に努めたものの
  回復の余地なしという判断と医師が変わったことにより手術を決断しました
2005年2月 退院
  一番苦しい期間。「何をどのようにしたら良いのか」「自分の体は回復するのか」
  「誰に何をどのように聞いたら良いのか」絶望的なことばかりを考えていた時期でした
2005年11月〜2006年12月 川崎市のリハビリ施設に通院
  このような体になっても「何か出来ること」を模索しこのホームページの構想を思いつきました






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